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セブ島でのダイビングと石けんつくりの日々。10数年前ひょんなことからセブに来てダイビングショップ&石けん工房を始めることになってしまった私の生活雑記帳です。


by angelmarine

戦争の傷跡

Dさんはアイルランド出身のジャーナリスト。
ご家族と一緒にセブへ取材を兼ねた旅行にいらした。
彼は第二次世界大戦の時の様子を知りたいという。正直、私は気が重かった。



私はここで暮らしている。臭い物に蓋というほどではないけれどできれば現在平和に暮らしている生活に
少なからず波風が立ち、過去を知らない子供達や若者が過去を知ることで私たちとの関係に亀裂が入り、
暮らしにくくなるのではないか、という懸念があったからだ。
こちらの人は血の気がやや多いため、怒った時や酔ったときにその話を持ち出され下手すれば命にかかわることに
なるかもしれない、というかなりの心配もあった。
日本に住む私の祖父母や両親は絶対に戦争のときのことを話そうとせず、「思い出したくもない」といつも言っていたことから、
さぞかし想像を絶する出来事で、心の中に鍵をかけてしまっておきたいくらい悲惨な出来事だったのだろうと
子供ながらに「聞いてはいけない」ことなのだろう、と思っていたからだ。

本当に本当に重たい心を引きずりながらも
彼らのご案内役としてマクタン島に住む長老に話を聞きに行った。

マクタン島で生まれ育ち、この島以外どこへも行った事のないという女性二人に話を伺うことができた。

女性Aさん 87歳 子供は7人。孫は数えたことがないのでわからないが一杯いる。

私はその時結婚していた。
夫は漁師で父も漁師。毎日海に出て魚を捕っていた。
ある日、突然同じ洋服をきた人間がたくさん島にやってきた。私たちを殺しに来たのかもしれないと怖くなった。
でも、その頃の村の長老に戦争がおこり、「ハポン(日本人)」の兵隊が「アメリカーノ(アメリカ人)」と戦うためにやってきたと聞かされた。
戦争が始まっても食べるものや生活に困るので夫と父は漁を続けていた。
戦いが激しくなると、飛行機が爆弾をこの島に落とすようになった。爆弾を落としていくのはアメリカ人、
地上で攻撃しているのは日本人だったと思う。
日本人は私たちの食べ物を容赦なく奪った。鶏、豚、わずかな野菜、そして夫と父が捕って来た魚。
木になっているバナナ、マンゴー、パパイヤなども。
まだ若かった私は彼らに追いかけられ捕まりそうになった。捕まれば強姦され殺されると聞いていた私は
とにかく必死で逃げ回った。いよいよ生活が苦しくなると、
家族と一緒に向かい側のオランゴ島へ逃げた。そこまでは日本人は追いかけてこなかった。
そちらの島は平和で日本人もアメリカ人も攻めてくることもなく戦争が終わるまでそこにいた。
学校には行けなかった。毎日家の手伝いをしたり、食べるものを探しにいく生活だった。
日本人、アメリカ人どちらが残酷だったかといえば日本人だ。
アメリカ人は陽気に毎日島の屋台でお酒を飲み歌い、踊り、島の人にもアメやガムを配ったり大変友好的だった。
日本人はいつも厳しい顔をして隙があれば私たちの物や女性を奪うことしかなかったような気がする。

女性Bさん 89歳 独身

ある日突然「ハポン」がやってきた。
怖そうな顔をして、いつも私たちの食べ物を狙っていたような気がする。
戦争があったから、学校も行けなかったし、結婚もできなかった。
どうして「ハポン」と「アメリカーノ」は自分の国で戦争をしないのだろうと思った。
日本人は野蛮だった。大声で話して私たちの生活の邪魔をし、
食べ物は強奪し、女は強姦し、まるで悪魔がいるようだった。
怖くなった私たちはオランゴ島へ逃げた。
自分の生まれ育ったところを離れなければならず、涙が出た。
荷物はほとんど何も持っていけなかった。
島では毎日食べ物を探しに行った。向かい側の島から自分の住んでいたマクタン島で
煙を見ると、自分の家が燃えているのかもしれないといつも不安だった。
とにかく、日本人は私たちを恐怖に陥れた。


このお二人の話を伺って、いかに私たちの先祖たちがフィリピンの方たちに辛い思いをさせたかを目の当たりにし、
本当に心が痛んだ。人の人生を狂わせてしまう戦争、(もちろんそれは日本の戦った兵士の方たちにもいえることだけれど)
それは彼らの子ども時代、青春時代を曇らせてしまった消すことのできない事実だ。

でもジャーナリストのDさんが最後に尋ねた質問の答えで私は少しだけほっとした。
「では、今の日本人やアメリカ人もあなた達は嫌いですか?」

お二人とも
「まさか!とんでもない!あれは昔のこと。彼らは反省したし今の私たちの生活を支えてくれている
大切な人たちだ」
「現在の彼らは友好的で私たちは彼らが大好きだ」
と。
周りにいた若い世代の人たちも
「そうだよ、日本人はとっても良くしてくれるよ、みんな大好きだよ」
と、私たちに非難の目を向けるどころかとても素敵な笑顔で優しいまなざしで私たちを見つめてくれていた。

私は涙を堪えるのが精一杯だった。
過去は消すことができないけれど、この国が好きで移り住んできた私はこれからもきっとここに住むだろうし、
時には彼らと時を共にすることがあるだろう。
たかが私一人、何をやったからといってこの村が、島が、国が変わることはないかもしれないけれど
それでも今私が始めた草の根的活動を絶対に絶やしてはいけない、と改めて心に誓った一日だった。
by angelmarine | 2005-08-23 10:15 | 戯言